はじめに:SNSで話題になったある投稿
妊婦さんが緊急搬送され、目を覚ましたら「全裸で研修医に囲まれていた」「妊婦の尊厳が軽視されている」といった内容のSNS投稿が話題になっていました。
元ポストが不明なポストではあるのですが、もし本当の話ならば、確かに、ショックを受けたご本人の気持ちも分かります。
しかしこのような状況は、妊婦さんに限った話ではありません。
そもそも妊婦=腹より下の疾患とも限りません。
おそらく全裸にされたというのは、全裸にせざるを得ないような緊急事態だったと推測されます。
たとえば、敗血症、意識障害、重症外傷など、迅速な全身診察が必要な緊急症例では、原因検索や処置のために年齢や性別にかかわらず衣服を脱がせて対応するのが標準です。
命を救う現場では、「ブラをつける」「タオルをかける」といった数秒の時間すら惜しいことがあるのです。
投稿では「使い捨ての紙のブラみたいなものがあってもよくない?」との記載もありましたが、医療現場はエステではありません。
エステや美容院のような心地よさを提供するサービス業ではなく、生と死の狭間で命を救うことが最優先されるのが医療現場です。
たとえば紙のブラを着けていたせいで呼吸状態の観察が遅れ、処置が遅れてしまうような状況もあり得ます。
「恥ずかしいから隠してほしい」という気持ちもわかりますが、その羞恥心よりも、命を守るために何が最も優先されるべきかをその患者さん自身にも冷静に考えていただく必要があります。
「歯医者ですら目にタオルをかけてくれるのに」との記載もありました。
歯科診療と救命処置では緊急度のレベルがまったく違うことも知っておいてほしいです。
配慮のなさは改善すべき医学教育の問題
もちろん、どんな状況でも患者さんの尊厳を守る配慮は欠かせません。
「妊婦初めて見た」という言葉や態度が、どのようなニュアンスで発せられたのか定かではありませんが、不快感を与えるような不用意な発言があったとすれば、それは明らかに医療者側の落ち度です。こうした点は教育プログラムの中で必ず改善すべき課題です。
また、目を覚ました際に周囲の医療者を「研修医」と認識できたという状況も気になりますが、何より大切なのは、患者さんが受けたショックそのものと真正面から向き合うことだと思います。
学生や研修医の見学はなぜ必要か?
このポストは多くの人に拡散され、
「私も昔病院で研修医に見られて不快だった」
「学生や研修医の見学は全面的に断りたい」
といった声も多く上がっていました。
「恥ずかしい」「未熟な医師には診られたくない」と感じるのは、ごく自然なことです。
自分や家族の命がかかっている場面であればなおさら、「同じ医療費を払うなら熟練した医師に診てほしい」「心の余裕がないときに、研修医や学生の見学まで受け入れるのはつらい」と思う気持ちは、誰にでもあると思います。
ただ、もしすべての患者さんが、学生や研修医の診察・見学を断ったらどうなるでしょうか?
少し前には、「お産の内診への立ち会いや、学生・研修医の実習協力」についても、SNSで議論が起きました。
仮に、学生が出産や緊急処置を一切見ずに国家試験を受け、研修医になっても現場を見学させてもらえず、机上の学習だけで医師になったとしたら──。
「学生」「研修医」でなければ、そういった「現場経験のない医師」の見学や診察を受け入れることはできるのでしょうか?もう「研修医」ではなく、正式に初期研修を終えた「医師」です。
答えはNOとなるでしょう。
そうなれば今度は
「若手医師は不安だからお断り。ベテラン医師に診てもらいたい」
という声が増えるでしょう。
すると若手医師は育たず、結果として「医師の高齢化」ばかりが進み、将来的に医療の質を維持することが難しくなってしまいます。
どんなベテラン医師でも、最初は見学と実践を繰り返してやっと「ベテラン医師」となっているのです。
経験が浅い医師に診てもらう不安は当然あるでしょう。
しかし、そうした若手医師には、たいてい熟練した医師が指導医として付き添っており、判断に迷った場合はすぐに相談できる体制が整えられています。
命・尊厳・教育…すべてが大切だからこそ
もちろん、見学や実習を受け入れていただくからには、医療者側にも責任があります。
- 配慮のない私語を慎む
- 無遠慮な態度をとらない
- 可能な限りプライバシーを守る
こうした基本的な姿勢を、徹底していかなければなりません。
「全裸にされた」という体験が、トラウマになるような医療であっては絶対にいけません。
一方で、「緊急時でもブラをつけさせろ」「学生や研修医は一律で見学禁止にしてほしい」「私は全面的にお断りするからみんなもそうしよう」などといった極論が広まると、日本の医学教育が成り立たなくなってしまいます。
医療の現場には常に葛藤があります。でもだからこそ、患者さんの尊厳・医療の安全・未来の医師教育という3つの柱を、対立ではなく共存できる社会にしていけたら…と切に願っています。
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