【産婦人科実習のあり方を考える】医学生・医師・患者・女性の立場から考えた私の考え

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皮膚科医ママこはる

国立大学医学部を卒業。
現在は皮膚科医として勤務。
3歳の娘を育てながらフルタイム勤務で仕事と育児の両立に奮闘中。
現在は第2子妊娠中!
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学生のお産見学(分娩見学)、頼まれたら引き受ける?

産婦人科における医学生の医学実習、いわゆる「ポリクリ」。

なかでも「お産の見学」については、個人的に医学生の頃から違和感を抱いていました。

このテーマについては、さまざまな意見があると思います。

・「恥ずかしい」「嫌」だから絶対に断るという意見。(特に医療者ではない患者の立場)
・「医学教育のためには必要」という意見。(医師や教育側の立場)

医師であり、女性でもある私としては、どちらの立場の意見もとてもよく理解できます。

私自身は、医学生として産婦人科の実習をしていたとき、「妊婦さんからしたら、学生に分娩に立ち会われるのは嫌だろうな」と感じていました。

なぜなら、当時の実習では、「見学しておくと勉強になるよ」と上級医に勧められ、学生は足元側に立って、赤ちゃんが出てくるところ(つまり妊婦さんの膣)を凝視し、赤ちゃんが生まれたら退室する、というスタイルだったからです。

こうした見学をさせていただいた立場として、もちろんお産の臨場感感じることができたことに対する感謝はありました。

でも、「もし将来自分が出産することになったら、後輩のために学生の立ち会いを受け入れなければ」という義務感のようなものも感じました。でもそれは正直、あまり気持ちのよいことではないな、と思いました。

医師である私が“患者”になったとき

医師国家試験に合格し、無事に医師となった私は、その後、結婚と妊娠も経験しました。

「出産までの間、夫婦2人の時間を存分に楽しもう!」と楽しみにしていたのですが、ほどなくして「切迫早産」と診断され、2ヶ月を超える長期入院に。

当時はコロナ禍で面会も全面禁止。いくら医師とはいえ、妊娠は初めての経験でわからないことだらけでしたし、寂しさと不安で、精神的にかなりつらい毎日でした。

入院中は、毎日の回診のたびに、ベッド上で膣洗浄や膣錠の挿入といった処置を受けていました。

カーテンなどの目隠しはなく、ベッド上で下着を脱ぎ、開脚した状態で処置を受ける必要がありました。

書面での説明も、口頭での確認も一切なく、「医師である私なら当然受け入れてくれるだろう」という無言の前提のような空気を感じました。

もちろん、“百聞は一見にしかず”という言葉があるように、見て学ぶことの大切さは理解しています。

医学生だったころ、私自身も多くの患者さんにご協力いただき、学ばせてもらいました。

だからこそ、今度は自分が後輩たちに何かを還元したい――そんな気持ちから数日は我慢していました。

けれども、漫然と毎日見学にやってくる学生たちに対し、「連日同じ処置を見学して、本当に新たな学びがあるのか?」「私の羞恥心や精神的負担に見合う価値が、その見学にあるのか?」と、疑問に思わずにはいられませんでした。

後日、「連日同じ学生に見学されるのは精神的に負担です」と申し出たところ、一度は謝罪があり、しばらくは学生が処置の際に部屋へ入ってくることはなくなりました。

しかし数日後には、申し送りが徹底されていなかったのか、再び学生が何事もなかったかのように部屋へ入ってきたのです。

もちろん、現場の医療スタッフが日々の業務で手一杯なのは理解しています。

けれども、学生を「とりあえず見学させればいい」というスタンスではなく、

「患者の羞恥心や精神的な負担に見合うだけの学びになっているか?」を、もっと真剣に考えてほしいと思いました。

出産時、助産師学生の立ち会いで気づかされたこと

切迫早産での長期入院を経て、いったん退院。精神的にも少し余裕を取り戻した頃、いよいよ出産のために再入院となりました。

その際、「助産師学生の立ち会いをお願いしてもよいか」との同意書へのサインを求められました。

一旦退院して気分がリフレッシュされていたこともあり、「まあ、同じ医療者として、実習に協力してもいいかな」くらいの軽い気持ちで立ち会いを了承し、サインしました。

――結果的に、その学生さんの存在は私にとってとても心強いものでした。

当時はコロナ禍で家族の立ち会いは禁止。

看護師さんや助産師さんたちは常に忙しそうで、頼みたいことがあってもなかなか声をかけづらい。

私は孤独の中で、人生で初めて味わうような痛みに必死で耐えていました。

「誰でもいいから、そばにいてほしい・・・」

「ただ、そばにいてくれるだけでいい・・・」

そんな状況で、ずっとそばにいてくれたのがその学生さんでした。

腰をさすってくれたり、テニスボールで押してくれたり、湯たんぽを用意してくれたり…。

本当にありがたい存在でした。

助産師学生の実習に協力しているつもりだったけれど、むしろ助けられていたのは私の方でした。

これこそが“良い実習”の在り方だと、心から感じました。

医学生の「見学だけの実習」に感じる違和感

医学生による分娩の「見学実習」には、以前から違和感を抱いています。もちろん、そうならざるを得ない背景があることは理解しています。

・医師、特に産婦人科医は多忙で、学生指導に十分な時間を割けない
・産婦人科は訴訟リスクが高く、学生に実践をさせづらい
・参加型の実践中心の実習にすると患者からクレームが来やすい

こうした事情から、「見学中心」の実習になっているのでしょう。

しかし、妊婦さんは、人生で最も無防備で、痛みと羞恥にさらされる瞬間に、自らの身体を“見せている”のです。これは非常に大きなギブ(提供)です。

その一方で、学生側はただ見ているだけで、患者側に何の還元もない――そんな実習になっていないでしょうか?

「見学させてもらう」なら「返す姿勢」を

「お産を見なければ産婦人科の魅力も怖さも分からない」という意見はもっともです。
でも、「ただ見学するだけ」で魅力を知ろうとするのは甘いと思います。

お産を見せてもらうなら、学生も何かしら返す覚悟で臨んでほしいと思います。
たとえば:

  • 腰をさする
  • 声をかけて寄り添う
  • 雑用を手伝う
  • 飲み物を渡す、買ってくる

小さなことでも、妊婦さんにとっては大きな助けになります。
時には良かれと思った言葉が妊婦さんをイラっとさせてしまうかもしれません。でも、そうした経験も含めて実習で学ぶべきことです。

「見学だけだから同意はいらない」は誤り

施設によって違うとは思いますが、助産師の実習では実践を伴うため事前に同意書を取るのが当然である一方、医学生の「見学のみ」では、同意を軽く扱われがちな印象です。

外来や採血の見学であればそれでも問題は少ないかもしれませんが、分娩や内診などデリケートな場面では、しっかりとした同意確認が必要だと思います。

紙の同意書が難しければ、口頭でもよいので、丁寧に説明して了承を得ること。

「学生ができることはなんでもします。頼み事は遠慮なくおっしゃってください」などメリットもありそうな一言を添えると、患者さんの気持ちも大きく変わるのではと思います。

もちろん、拒否する権利があることも明確に示すべきです。

男性にも想像してほしいこと

想像してみてください。
カーテンもない大部屋の真ん中で、激しい痛みの中で大開脚して、強いライトで照らされた局部を何人もの学生に覗かれる。

しかも、その学生はただ足元で突っ立っているだけでなにも助けてくれない。

それでも「全然平気」と言えますか?

すっぴんで汗だく、妊娠で体型も変化して、それだけでも家族以外に見られたくないという女性もいるはずです。

「分娩の見学」とは、女性にとってそれだけの羞恥と覚悟を伴うものなのです。

医学生実習の在り方

見学中心になりがちな医学生の実習。

さまざまな背景や課題があり、簡単に解決できる問題ではありませんが、

私自身の体験が、今後の改善の一助になれば嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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